Tue 01-03-2011 : Ketoru, Sakurai Keisuke

『Field Works - office』レビュー
雑誌「ケトル」(太田出版発行)
文:桜井圭介(作曲家、ダンス批評)
あるパフォーマンス公演を観に横浜へ。各回限定2名。馬車道駅前のYCC 一階カウン
ターに集合。名前を告げると地図を渡される。近所のとある建物が記されてあり、そこが
会場だと初めて知る。建物の入口でさらに上階へ案内される。表札を見ると「○◯設計
室」とあった。中へ入り「ここでしばらくお待ちください」と言われるまま椅子に座り見
るともなしに辺りを眺めることしばし。なるほど、図面を引くひとや建築模型を作る人、
ディスプレイに顔をうずめる人、ああ、いかにも建築事務所だな。会社見学に来た気分。
あれ? いやいや、そうじゃなくて、僕はパフォーマンスグループの「公演」を観に来
たのであった。とすると、この人たちは? もっともらしく線を引いたりしているけど、
建築士なんかではなく俳優? それにしては仕事振りが堂々としているような‥‥。ふと
横を見ると、箱庭療法のジオラマみたいな、しかしまったく意味不明の工作をしている男
がいる! こいつはニセモノに違いない。ニセモノっていうのはつまり「俳優」(として
はホンモノ)ってことだけど。あれ? 最初に案内してくれた「女事務員」然とした女性
も、大きな引き出しの中に手を入れて何か取り出すのかと思ったら、いきなり引き出しの
中に上半身突っ込んでジタバタしてるよ!
そう、このパフォーマンスは、本物のオフィスと本物の社員が働いている中に「紛れ込
んで」行なわれる何かなのだろう、多分恐らく。しかし、誰が本物で何が演技なのかは正
確には知り得ない。考えるほどにすべてが疑わしくなる。政治的工作機関の仕業か詐欺グ
ループなのか分からないが(あるいは、自分の周りの人たちが全部実はニセモノ=宇宙
人!なんじゃないか的な)、疑惑(妄想)がかき立てられる。言わば「コン・ゲーム」の
渦中にいる感覚。
詐欺行為の「いかにうまくダマすか」というのは、考えてみれば「お話=フィクショ
ン・虚構」をいかに「リアル」に「演じる」か、という演劇の抱える「二律背反」な命題
と通じるものがある。 そのことで言えば、この『Field Works - office』は、本当らし
さと嘘っぽさのあわい、虚実皮膜の面上にパフォーマンスを成立させることを目論んでお
り、「嘘を嘘として楽しむ」「フィクションにこそ宿る真実」という演劇が本来持ってい
たはずのポテンシャルを、逆説的にだが、浮かび上がらせてくれた。しかも悪戯のように
楽しみながら。そして「虚/実」とはまた「日常/非日常」の謂いでもあるだろう。パフ
ォーマンスは日常空間が一瞬だけ反転されるような瞬間を生み出すことに成功していた。
そうそう、そこにはさらにもう一つの「反転」があった。我々は観客のつもりだったが、
実はそこにいる間じゅう彼らに観察されていたのだった。最初に何やらアンケートを書か
され、途中、不意に机の上のディスプレイ上に自分の名前のグーグル検索結果が映ったり
した。そして帰り際に渡された一枚の紙には、彼らと一緒の自分の似顔絵が描かれていた
のだった。

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